芸妓と問

芸妓は「仲之町」と「京町」(一名横町)の。 二派に別れ、伸之町が約八十名。 京町の方に三四十名居るが、吉原芸妓といふは勿諭仲之町芸妓を指すので大店へ出入する芸妓は此の方に限られてゐる。 が、さすがは場処柄だ横町芸妓にもなかヽ芸の達者なのが居る。 —同時に此地も浮世で時代の風は吹く、若い妓には近来相当うつくしいのが居て、廓芸妓の孕んだ噂さなどを聞くこともないではない、芸妓は女なるが故に……。

名妓と云はれるおなつ、おさだ、倶に未だ健在。 たしか最早六十を越して居る筈だが矍鑠として壮者を凌ぐ元気、且つ彌よ渋味を帯びて来てゐる。 ともに吉原で生れたちやきヽの江戸ッ児で、お夏は五十間の畳屋の娘。 鼻なつと言はれる程特色ある鼻の所有者で、一中の名人である。 おさだの美声亦世人の熟知する所、これは偉大な体格の持主で、そのいなせな木遣姿などは、まさに昔語りにきく幡随院長兵衛の威風も斯くやと偲ばしめるものがある。

幇間の多いことも此の花街の特色で、善孝、善六はすでに在らず、今日は桜川三孝、正孝、松の家喜佐久、延孝、千代孝、忠七などの時代である。

客の居る間は幾時間でも「貰ひ」といふことがない。 小芸妓は玉一本廿銭で祝儀二円。 「約束」は午前十時から午後十二時迄が玉八本(三円廿銭)祝儀六円以上。 遠出のことを吉原では「外出」と称し、これ亦朝の十時から夜十二時までが玉九本祝儀六円以上といふ安くてそして稍漠然たる定である、六円以上といふのだから十円も十五円も祝儀を請求されるかとおもへば左にあらず、六円ぼつきりの事もあれば八円位請求されることもあるといふ程度で、それも茶屋の女将の手加減次第、別に芸妓の方から申し出る訳ではなく、至極のんびりとしたやり方である。 それ故いそがしい妓は「御挨拶」で稼ぐより外に途はない。

横町芸妓の方は玉一本卅銭(小芸妓二十銭)二時間を一座敷として玉四本、祝儀二円四十銭(小芸妓一円六十銭)、「出直り」は一時間二本、祝儀九十銭(小芸妓六十銭)の定で、此の方には「御挨拶」の制度はない。

尚此里は、午前二時迄は太鼓を入れ、三味線は夜つぴて弾いて騒いてもかまはない別世界である。