四谷大木戸

区域

四谷区永住町三十六、七番地に亙る一廓で、市街電車・乗合自働車ともに新宿線の「大木戸」停留場下車、山手劇場横を北に入れば直ぐ。 省線新宿駅表口からは電車線路に沿ふて約十町。

大木戸といふは町名ではなく、そこは甲州街道に当つて居つた為め塩町三丁目と内藤新宿との間に木戸を設け、番屋を置いて、駄荷の切手などを検査して居つたところから起つた名で、木戸は寛政四年すでに廃されてしまつたのだが、名称のみは依然今日に伝へられて居るのである。 明治初年まで此の処南は森林、北は谷でなかヽ景勝の地であつたといふ。

こゝに花街のできたのは大正十一年、旧市街内では一番新らしい花街であるが、そこへ丁度彼の大震災で下町の花街が一時全滅の姿に陥つた機に乗じて俄然膨脹したもので、世の中は何が幸ひになるかわかつたものでない。

現在芸妓屋三○軒。 芸妓九〇名。 待合三六軒。

料理店三軒(自慢本店、同支店、みやこ鳥)

芸妓代は別表の通り。 別祝儀は五円から七八円ださうで、『時間すぎならば家に依つて一切を引括め十円あればいゝんだ』と、或る男、安いつもりで話したのだらうが、五十円でも安いと思ふことあり十円でも高いと思ふことあり、此地の十円は余り安いといふ感じは与へられない。

大木戸気分

大木戸気分を語るほど無論詳しくは知らないが、さうだね斯んな風に言はふか、『場末の新開地気分を味ひたいと思つたら、何も調布だとか新井あたりだとかまで出かける必要はないよ、大木戸へ行きたまへ、芸妓と銘酒屋の女との合の子のやうな妓が居り、待合と銘酒屋の中間地帯に居るやうな家が沢山ある、さうした一種の情調も時には君おもしろいものだよ』とね。 然し決して、大木戸芸妓の全部が、或ひは待合の全部が、さうした女であり家であるといふ訳ではない、慎つて呉れ勿。