木屋町・下河原

木屋町は先斗町と同じ加茂川べりで、先斗町とは三条通りを隔てゝ北に連る一廓、電車は「木屋町三条」は降りて北へ入るか、「木屋町二条」から南へ入る。 京阪或ひは京津電車は三条大橋を渡つて同小橋の袂から北へ這入つてゆく。

下河原は洛東円山公園につゞいた高台寺の附近。 八阪神社境内を真直に南へ二三町電車は安井北門停留場下車東ヘ一二町。

こゝは花街ではないが、祇園や先斗町の遊びにも飽きた、と云つて嵯峨や宇治は遠くておつくうだといふ人達の行くところ。

川のほとりの陽気なのを好む人々は木屋町。

山のふもとの閑寂さをこのむ人々は下河原。

と、おのおの趣味によつて場所はちがふが、風流の士は知らねばならぬ処となつてゐる。

三条小橋の東の袂を北へ折れてはいると、西側は高瀬川がゆるやかに流れて、東川の町並は家の三五軒おき位に露次があつて、路次の突当りが皆席貸になつてゐる。 河原は大抵鴨川の水に臨んで、河原から東山一帯を見晴らすおもむきは先斗町に同じであるが、僅かのちがひで先斗町ほどざわつかず伸びりしてゐる点が生命である。 そこが即ち木屋町。

高台寺前の下河原町は、むかし太閤夫人が此上なく愛でた閑寂の境で、御旅館と丸ポヤ艶消しの電燈を掲げた意気づくりの家々は、門を入つて玄関までお誂への白河砂利を敷いた間に、花崗石の踏石が通じて清々しく打水をなし、隣りと境した壁際には申し合せたやうに清礎な笹が植はつてゐる、見るからに閑境そのものである。

昼の静けさに引かへて、夜が更けると歓楽の夢をのせたナツシユにピユイツクパツカード、陸続として遊客と芸妓とを戸毎に運んで来る。

是等の家々は表に旅館と書いてあつても、料亭にあらず、将た貸席でもないところの「席貸」といふ独得のお茶屋であることは已に大阪の部で述べた。 芸妓置屋とは直接の取引がなく、凡て貸席から送り込む形式にはなつてゐるが、木屋町の如きは地続きで極く近い関係もあらうが貸席と席貸の連絡がよく取れてゐて、殆ど普通の貸席と異るところは無いやうである。