祇園情調

京美人を一言にしていへば『温順しやかな色つぽさ』が其の身上で、いづれもお茶を習つてゐるから起居助作のしとやかなること、全国に比なしと推称して過賞であるまい、従つてどんちやん騷ぎをせずしつとりと落ついた座敷に趣きがある。 殊に春の朧ろ月夜盛装した二三人の舞妓をつれて、円山公園のそゞろ歩きは、祇園情調の極致と言ひたい。 然し舞妓姿のほんとうに美くしいのは都踊りが終つてから秋の初めに至る迄の間で、

京の子が、扇かざして透綺着る、夏も間ぢかき夜の灯の色。 (中澤弘光)

と歌へる、さすがに書家はよく其の美くしい所を掴んでゐる。 京の舞妓は近くで見ても、遠くから見ても、また前から見ても後ろから見ても、うつくしいものだと私は思ふ。 例の蝉の翅のやうな「ダラリ」を垂れて、木履を穿いて、二人ならんで花見小路あたりをゆく後ろ姿は、全たく雛壇から脱け出したやうである。 前から見れば玉蟲色に光つてゐる唇—舞妓の口唇の紅の濃さと、それを大切にすることも祇園の一つのカラアで、物を食べた後は、屹度唇の色を直すことを忘れない、それがまた大抵金屏風のかげ、白粉の濃い衿首を此方に見せて、ふつくらとした頬を斜光線でぼかして紅紙を嘗めると極つたものらしく、飽く迄も客を悩殺しようとかゝつて居るかに見える。

へえ大きに。 そらよろしおすな。 それは何処でのことやのどす?。 あほくさ!。 てれくさ!ほツちツちーや。 きいつ目に言うて呉れはるわ。 −等々その通りに、角の取れた柔か味に富んだ言葉づかひ、それも亦祇園情調を湧かせる泉の一つであらう。

何時を懐中に小遣銭を持つて居らぬことが祇園の芸妓のひとつの誇りで、客に惚れつぽいがそれでゐて相応に金を捲上げる。 いかに惚れてる好きな男でも、金がなければ後足で砂をける。 とれが又祇甲芸妓の伝統的気質であることも忘れてはならない。