万亭。 富美代。 大嘉。 大和家。 吉喜乃。
いづれも一種の格式を持つた代表的なお茶屋で、昔の通り赤前垂をした仲居が出て取持ちにつとめる、真に「祇園の大茶屋」らしい気分に浸ることのできるのは、こゝらの貸席であらう。 就中「万亭」は、祇園町から花見小路へ曲らうとする左手(東)の角に在つて、万春楼の頭字を取つて万亭と称し、それが万亭となり、更に万の字を割いて「一力」と呼び習はしたもの、大石内蔵助が祇園島原の揚屋通ひにうき身をやつした頃、敢てこの茶屋で遊んだといふ訳ではなかつたが、彼の戯曲仮名手本忠臣蔵の何段目かの舞台を此家にとれる為、海内都鄙祇園の一力を知らざる者なきに至つた。 そこで内蔵助が百五十回忌に際つて報恩の為め大法会を修して庭内に碑を建て、大石以下四十七士の木像を祀り旁ら義士の遺墨遺品等を蒐集して、毎年三月二十日の大石忌に公開して、一般に縦覧せしめてゐる。 建築も立派だし、庭園も頗ぶる閑雅幽静御定連は一流の紳士紳商で、古来の家憲に依り芸人は遊興させないことになつて居る。
また以て妓園の一名物となすべきであらう。