揚袖花魁

「三十振袖四十島田」といふ語があるが、それを実地に行つてるのが祇園の『振袖はん』なる一種の妓で、眼のさめるやうな友禅の振袖を翻へし、『妾どないにしまひよ』なんかと言つて花髷をビラヒラさせてゐる所は、東京の半玉などより遥かに線が柔らかで、芳紀まさに十五か六かと見え給ふが、よく糾弾してみると、妾こと三十二歳に侍るなどゝ、恐ろしいやうな泥を吐いて、『いゝ年してこないな姿をして勤めまんは、自分かて浅ましう思ひまツせ。 』

と、真実の悲哀を語るものもあると、但これは私の実見したことではない。 都踊の踊り子の中にも、矢張りさうしたのがあつて、身長の小柄な愛くるしい顔の所有者は振袖を着て踊ることがあるといふ話しである。