京都には現在十箇所の花街がある。 即ち。
祇園新地甲部 三四二軒 芸妓本位
七條新地遊廓 二三三軒—
同乙部 二〇八軒 芸娼両本位
上七軒町遊廓 三七軒 芸妓本位
先斗町遊廓 一六三軒 芸妓本位
北新地遊廓 一三九軒 芸娼両本位
宮川町遊廓 三一九軒 芸娼両本位
中書島遊廓 八九軒 芸娼両本位
島原遊廓 一三九軒 娼妓本位
撞木町遊廓 二二軒 —
芸妓本位の花街にも少数の娼妓あると同時に、娼妓本位の花街にも若干の芸妓が居る。 例へば祇甲にも、「太夫」が居るし、島原にも芸妓が居るの類である。 北新地は芸妓部組合と娼妓部組合に分れ、それで二つの遊廓として算へる人もあるけれども、元来同一の区域であるから芸娼妓両本位の一遊廓と見てもよいであらう、実際は娼妓の方が多数を占めてゐる。 而して芸妓本位もしくは芸娼両本位の遊廓に於ける娼妓は凡て「送り込み」の制度で、屋形から揚屋へ呼んで遊ぶのであるが、娼妓本位の遊廓の娼妓は居稼ぎであることを、その特色としてゐる。 この点は大阪も略同じことで、居附の女郎でない限り所謂「籠の鳥」ではないから行動が比較的自由で、馴染になると昼間旅館へ遊びに来たりすることも無きにしもあらずである。
『芸妓はんほど着物にお金が出なくて、収入は変りませんもの。 それに芸妓だつて、することは結局同じことなんですもの。 』
曾てさう言つたのは元芸妓をしてゐたといふ、大阪のさる娼妓であつた。