京都

春は花、いざ見にごんせ東山、色香あらそふ夜ざくらや……

と、京の郷土民謡である「京の四季」に唄はれるとほり、京の春の歓楽は祇園の夜ざくらからはじまる。 「祇園さんの花が咲いた』と、花信一たび伝はつては、もう京の人たちの心は落ちついては居なかつた。 四條の大橋をわたつて、そのまゝ祇園の通りを真直ぐに突当つたところが謂ゆる「祇園さん」なる八坂神社で、こんもりとした木立のかげの舗石の道を、左りへ斜めに境内を通りぬけると、丹塗の鳥居ひとつを堺に、そこが名に負ふ円山公園。 闇につゝまれた黒い東山をバツクとして、ばつと浮き上がつてゐる枝垂桜のうつくしい粧ひは、世に又とあるまじき艶めかしさ、である。 毛氈をのべたやうな芝生の上では、紅毛布を敷いて、小あきんどの女房と云つたやうな、青く眉を落とした女房連が酒汲み交はしつゝ、三味線を引いて踊つてゐるのも、いかにも京らしい気分ではないか!。

山の中腹の見睛しに立つて、しづかに街の灯をながめる。 享楽に酔ひしれただみ声も、此処へは微かに、例へば静かな潮のさゝやきのやうに聞こえてくるのみで、たゞ此の山に取囲まれた古い美くしい都が、淡い灯のまたゝきをもつて、歓しい夜の呼吸をしてゐるのが、夢のやうに、将まぼろしのやうに果しもなく見渡されるのであつた。 かゝる時、智恩院の鐘の昔を諸行無常と聴くには、四境をつゝむ生の歓びが、あまりに強かつた。

『京都そのものがすでに一つの大きな歓楽郷だ』さういふ時特につくづくと、さう云ふ風に感じられるのであつた。 古い都であり、山紫水明の都であり、そして美人の都である京都は、つまり歓楽の都である。 そこには東京にも大阪にもない所のおつとりした一種の情調がある。 そりゃあ東京だつておもしろい、大阪もおもしろい、しかし京都は一層おもしろい。

『東京で高い金を払つて遊ぶ位なら、往復の汽車賃がかゝつても、京都へ行つて遊んでくるかな』時をりさうした衝動に駆られることが無いでもない。 安くて、そして面白く遊べるからである。