堀江

西区北堀江にあり、湊町駅から西北と六七町、電車は北堀江、阿彌陀ヶ池、問屋橋宇和島橋、等に降りるが便利。

「四ツ橋」の南西の一角で、新町廓とは長堀川を挟んで相対し、宇和島橋をその連鎖として居る一区画である。 島の内から横堀川に架したる御池橋筋を中心に、有名な阿彌陀池に至るあたりに散在し、廓とは言ひ條、娼妓地帯は事ある毎に切りちゞめられて今日では唯だその残骸をとゞめるといふ程変にすぎず、

芸妓貸席 八軒。 芸妓 約八百名。

娼妓扱席 二軒。 娼妓 約五十名。

貸席 百八十軒。

これが此の廓の現状で従来芸娼混合を本位とせる大阪の花街も、漸次分離してその間に截然たる区別をつけやうとしつゝある、その趨勢を最とも如実に示してゐるのが此の曲輪である。

大阪の傾城町は新町一廓で、島の内、堀江、曽根崎などは所謂「岡場所」(大阪では島場所と云つた)であつた。 それで寛政元年に一度厳禁されたが、とても削減を期しがたく、且つ此の地大阪水利の玄関口であつたから、船乗の遊所として今日の発達を遂げて来たもので、今に尚ほその余風を存し、しんみりとして温かなどこか家庭的な情味がたゞよふてゐる。 雑喉場靭の且那衆の遊び場で、総じてその遊びが古風。 従つて近代的な明るい風姿の女よりも、艶にして濃かなりと云つた風の妓が歓ばれる所から、自然この種の美人が多く集まつてゐる。 東京でいへば先づ震災前の講武所と云つたところで、小じんまりとして、親しみの多い、落ついた花街のひとつである。

代表的貸席

木谷、一力、藤島家、桝梅、松葉、藤田家、伏見屋、三益屋、八代などが一流株で、木谷は例の近松研究家木谷蓬吟氏及びその妹である閨秀書家千種氏等の生家である。

遊興制度

芸妓の花代一本十五銭その他も各廓に同じであるが、花の算出法は、常日で三時問以内は一時間十本、午後六時より夜十二時迄四十六本、午前六時より夜十二時迄七十二本、夜十二時より朝六時迄二十本、居残り花といふ朝六時より正午迄十二本、通し花八十五本、宴会約束花四時間以内四十本といふ勘定で、こゝの紋日は正月四日から十日迄と紀元節及び七月廿一日の稲荷祭、大紋日は正月三ヶ日と天長節になつて居る。

娼妓の花代は一本十六銭、一時間六本。 朝六時より正午迄二十二本、朝から午後六時迄三十五本、正午より午後六時迄二十五本、午後六時より夜十二時迄四十五本、夜十二時から翌朝六時迄二十四本、昼夜通し花七十三本といふ勘定で、その他は概ね堀江廓に同じ。