大大阪の十花街

今日の大阪市は、南は大和川を隔てゝ和泉国と堺を接し、北は新淀川を渡つて神崎川の左岸におよび、東は中河内郡と堺を接してゐる。 即ち旧来の東西南北の四区を分つて天王寺、浪速、港の三区を新設したるものに此花、西淀川、東淀川、東成、西成、住吉の六区を加へて十三区制とし、広柔実に六十六万平方哩、人口二百三十万、通天閣の高さを以てしても、市街の隅から隅まで全部を見渡すことは出来なくなつたと同時にその花街も旧来の五廓に新たに五廓を加へて新旧十箇所の花街を抱擁することになつた。

旧五廊とは南区の「南五街」、北区の「曽根崎」、西区の「新町」「堀江」及び「松島」の五遊廓を指すもので、その内松島だけが明治初年の創設で比較的新らしく、且つ娼妓本位の遊廓であるのを除けば、あとは何れも芸妓本位のしかも古い古い歴史を有する花街である。

新五廊は浪速区の「新世界」(旧南区の一部)天王寺区の「飛田」住吉区の「住吉」港区の「田中町」(旧西区の一部)及び東成区大軌洽線の「深江」を指す。 新世界は元から在つたには在つたものだが、歴史が甚だ新らしい上に大阪の花街としては異端的色彩を有つもの、飛田と住吉は大大阪となつた結果市に編入されたもの、田中町・深江は新指定地—三四年前からはじまつた新花街で、是からの盛り場である。 飛田や住吉も従来行政上こそは市外に属して居つたが、事実は矢張り大阪市の花街とするのが至当で、結局は唯だ名実共に市の花街に算へられるに至つたといふにすぎない。

しかし大阪の花街としての特色を帯び、之を代表するものは、南地、北陽(曽根崎)、新町、堀江の四廓に限られる。 松島・飛田の如き娼妓地帯や田中町・深江のごとき新指定地は勿諭のこと、新世界・住吉などに遊んだのでは、大阪の花街情調を味ひその特色を知ることはできない、で、以下説く所の大阪花街の特色の如きも専ら此の四廓に就て言ふのであるが、各論に入るに先だつて少しく総論を試みて置かないと、他国の人々殊に関東地方の人々には、大阪の花街はわかりにくいかと思はれる。