芸妓の祝儀の制

東京の花街も今日は大部分「時間制」となつたといふものゝ、尚依然として「玉、祝儀」制を採つてる花街がある。芸妓の玉代及び箱代の外に「祝儀」といふものを、一定の額を定めて、勘定書に入れて公然と請求するのである。恰も旅館に泊つて茶代を請求されるやうなもので、祝儀といふ語義から言つても甚不可解な制度であり、叉京阪地方などにては絶対に無いことであるが、名目が異るのみで祝儀も亦玉代の一部だと思へばよい。二三十年前迄は東京でも祝儀は必らず客自から紙に包んで、一座の老妓に一括して渡すか、叉は一々当人に手渡したものであるが、後に「紙花」といふものになつてから、時に不渡りが出たりして、芸妓の方でも茶屋に立替へて貰ふ事を好み客も面倒がつて茶屋に立替へて払はせる者が多くなつて、茶屋と芸妓屋側が相談の結果一定の相場をつくるに至り、遂に祝儀制度なるものを生んだのであつて、此制度に於ける玉代は唯だ招聘時間の目安たるにすぎずして、祝儀を以て芸妓の主なる収入として居る。例へば二時間の玉代が二円であれば祝儀は三円、玉代が一円で祝儀が二円といふ風に、何れの花街たるを問はず、毎に玉代よりも祝儀の方が高くなつて居るのを観てもこの消息は解せられやう。が然し時代後れの無用煩瑣な手数たるを免がれぬ、それで近年は玉代、祝儀、箱代等の区別を廃し、最初の二時間何程、爾後一時毎に何程といふ風に、時間制度を採用する花街が増加し、今や方に此制度に統一されんとしつゝある。