玉の井

向島区寺島町字玉の井。 市内浅草雷門から玉の井行といふ乗合自動車があつて約十五分間、東武線は雷門駅から四ツ目の玉の井駅下車、駅から約一丁。 京成電車も亦曳船駅から玉の井支線を分岐し、花街のすぐ後ろへ吐き出してくれる。

隅田堤の下、自髭神社の背後に当る一廓、今や吉原と並んで東京名物のひとつに算へられつゝある此の事実を、奈何ともする能はず、「玉の井」は私娼窟の代名詞とまでなつて居る。

特別のカラアを有つた一種の花街として、花街めぐりの著者はこれを無視する訳にゆくまい。 大正八年欧州大戦の好景気に乗じて元府会議員小島某等に依つて、土地発展上こゝに花街経営が目論まれ、向島の芸妓町を移転させるつもりで、田圃を埋立てゝ新開地を開いた。 入金が支店を出すやら、向島から移転してくる気早な芸妓屋などもあつたが、三業地は不許可となつた為一転して私娼街と化し、浅草六区を駆逐された女がこゝと亀戸に集まつて、忽ち代表的私娼街をかたちづくるに至つたもので、同じく闇に咲く花ながらも、普通の銘酒屋とは違つて、一廓の中に公然と営業をして居る全たくの別世界である。 家数にして四〇七軒、女の数にして九五〇人。