大塚

恋の大塚姿見橋で、見そめ逢ひそめ日丈か矢端

ながす浮名に、思ひもつもり

末は互ひにこいしかは。

囃子『大塚天祖のお宮の前に、王電・省電・市電とバスがジャズの神楽で、チンカラタツタ、チンタツタ』(大塚ぶし)

作者平山蘆江氏も人がわるい、だが事実はまさに此の唄の通り山手線大塚駅の直下、省電・王電・市電又市営バスなどが朝は未明から夜は一時すぎ迄、チンカラタツタ、チンタツタと騒騒しい交響楽を奏する巷に介在する巣鴨町字平松の総面積八千六百坪をかぎつて設けられたのが、わが「大塚花街」で、花街の西に連なる台地が富士見ヶ岡である。

花い咲いたぞ景気の花が、大根ばたけの一万坪に

色もとりどり、香もさまざまに。 恋の大塚、富士見坂。

囃子「大塚天祖のお宮の前に、王電・省電・市電とバスが

ジャズの神楽で、チンカラタツタ、チンタツタ。

芸妓屋六十八軒。 芸妓約二百六十名(内小芸妓一五名)。

料理店二十二軒。 待合六十一軒。

こゝも芸妓屋・待合が許可されたのは確か昭和二年の春からで、それまでは遊芸師匠と料理屋で事実上の花街をかたちづくつてゐた。 蔦好川、油家、おもだかや、花本、小花家、おたがひ、井筒家、叶家などは何れもその遊芸師匠時代から引つゞいての芸妓屋で、この土地での姐さん株といへば叶家の小徳、花本の当八、おもだかやの〆太郎、小松家の福奴などといふ顔ぶれだが、就中叶家の小徳は蔦好川の女将一柳及び宝屋の女将喜多八と共に、当花街演芸試験官の重任に当つてゐる。