渋谷の色地蔵

今の神泉谷あたりは往時は「隠亡谷戸」と云つて、火葬場だつた処である。 こゝで荼毘に附した亡者の冥福を祈る為に建立した大きな石の地蔵尊が、花街の入口、坂上の交番の隣りに『右北沢道』など書いた右標と共に建つてゐたのは奇観であつたが、道路改正にあたつて取除かれ、今日は渋谷劇場横に新らしく堂宇をつくつて祀られてゐる。 背に「文化三年」と刻ん。 である、文化三年といへば春花秋雨こゝに百余年、曩には火葬場への曲り角に立つて冥界の道案内者、今日は花街の守護仏?芸妓から赤いよだれ掛などを贈られて艶めかしく、地蔵さまも定めて感慨無量であらう。 将たそれとも、予が職掌は六道の能化、色の道だけは管轄外ぢやと苦り切つて在す乎。 此の地蔵さまと、力士のやうに肥つた仲吉の「はだか甚句」などがまづ道玄坂名物であらう。

渋谷は食ひ物のまづい処でこいつに一番閉口するが、洋食の二葉亭(昭和銀行道玄坂支店横)だけは自慢もので、本式の仏蘭西料理、これだけの家は東京市内にも一寸見当らない。