大森新地

「大森海岸」の三四丁先きで、京浜国道からちよつと南へ入つた海岸の埋立地、大森新地といふが本称であるが、元この一画は都土地会社の分譲地であつたところから「都新地」とも呼ばれてゐる。

大正十四年の創立だが、三業の体裁を整へたのは昭和二年以降、ほやヽの新花街のひとつで、花街の真ン中にベースボールをやるに足る空地を有し、日毎月毎に新らしい芸妓屋・待合が、ドシドシ建て増されつゝあるのが此花街であつて、

芸妓屋 四十三軒。 芸妓約百五十名。

料理屋 三軒(つるや、貝茶屋、一舟)。

待合 四十一軒。

一切の余業を交へず、一画整然たる朱引地内、人も建物も、すべてのものが新らしく、一種清新な情緒をみなぎらせてゐる。 それに海中へ突出した埋立地だけに、廓の三面は海で、コンクリートの土手の下にはヒタヒタと東京湾の水が打寄せ、オーイと声をかければ声の届きさうな真近を帆かけ船が悠々とすべつてゆく趣も、外では味へない独特の風趣である。