遊興制度

震災前迄は、此地には関西流の揚屋式の家が若干あつて、廻し制度ばかりの東京諸遊廓中に一異彩を見せ、一部の人々には相当歓迎されて居たやうであつたが、矢張り東京の気風には合はぬのか、今日は全然影を消してしまつた。 前掲六軒の茶屋請貸座敷の外は直接登樓してよく、又茶屋受以外の樓と雖も引手茶屋から行くのに無諭さしつかえはない。 組合規定の娼妓玉代は一等四円、二等三円、三等二円となつてゐるが適用法は樓の格に依つて多少異なり、中位のところであれば五、六円で本部屋に入つて丼ぐらゐは出る筈である。 然し芸妓でも揚げて遊ばふとすれば、三十円位はかゝるであらう。