今日の霊岸島

茅場町から霊岸島に渡る霊岸橋の東側、電車線路を挟んで富島町一、五、七番地、南新堀一丁目一番地、浜町四、五、六、七、九、十、十一番地及び四日市町一、八番地に亙る区域が所謂「霊岸島」と称する花街で芸妓屋及び待合はこの間に集中してゐるが、出先きの料理屋は霊岸橋を渡つて南茅場町、或ひは亀島橋を渡つて八丁堀水谷町に及び、一方は永代橋際の大川端町に及んでゐる。

現在芸妓屋 三十軒。 妓屋 約五十名 待合 二十軒。 料理屋十二軒。

此地では此の三業が打つて一丸となつて「霊岸島三業株式会社」なるものを組織し、待合大和屋が社長、芸妓屋の新増本及び料亭大国屋が副社長、待合相川、芸妓屋鈴増本が常務取締役、料理店喜可久が相談役といふ役割のもとに、株式組織の一営業体として統一経営されてゐるのは、旧市街内ではちよつと珍らしい行き方である。 それで一座敷毎に玉一本を控除して(即ち三本なれば二本、二本、なれば一本として伝票にい記載される)それが芸妓屋と出先きと各半額宛の積立金となるこれも亦面白い制度である。