主なる待合

荒井家、国の家、染の家、浜川、近江家、米春。

百合の花の露にうなだれたる、しかも些か寂しげに見える所は、山百合のそれにも似たるが新富町の芸妓である。 と云つた人があるが吾輩その当否をしらず、此地で私の知つてるのは万安くらゐのもので、以前は万安へは新橋の芸妓が入つたため、気の利いた宴会には大抵新橋がやつてくるし、時たま自分で遊びに行つた場合も曾て此地の芸妓を招ばふとしなかつた、故に新富町に遊べども新富町芸妓を識らずである。

万安は元来会席料理でしんねこには向かない、料理は論ずるに足らず酒もよくなかつたが、たしか伊達若狭守か誰れかの邸跡で、その庭だけは東京の料亭を通じての万安であつた。 但し震災後はどうなつて居るか、一度行つたが夜遅かつたし月も無かつたので、庭を見てくることを忘れてしまつた。 元の渡辺銀行の頭取渡辺治右衛門氏はこの万安を根城として、盛んに此の地で発展したもので、渡辺一門がこの花街に落した金は蓋し少い額では無かつたらう。 それで渡辺銀行が閉鎖されたとき、『新富町芸妓渡辺銀行を漬す』などゝ口善悪なき童どもは陰口したものだが、事実彼の頃の新富町花街は一時火の消えたやうな寂しさであつた。

芸妓代は別表の通り、別祝儀の利く妓は大抵五円、七円、十円といふ所で、交渉は比較的簡単につくといふ話。 この花街にしては相場が安い。