区域

芝区烏森町一円の地。省線「新橋」駅の裏口(北口)を一歩踏出をば即ち烏森の花街で、駅のプラットホームから眼下に鳥瞰される。

別称「新橋南地」、新橋川一すじを隔てゝ新橋花街と殆んど地を接してゐる。ちよつとをかしく感ぜられるのは此地の組合の名を「新橋三業組合」と称することだが、説明をきいて見れば新橋は自分の方が本家で、所謂「新橋」は後に生れた花街だといふのである。なる程烏森に花街のあつたは宝暦頃からのことで、風来山人の志道軒伝にも土橋附近に岡場所のあることが記されてゐる。此花街が繁昌し始めたのは明治の初年、西郷南洲翁を取巻く軍人連の根城となつたがためで、「髯の中将」で鳴らした比志島義輝将軍(維新当時、武官中唯一の蓄髯家であつた)は此地の美妓お雲と恋に陥ち、遂に落籍して夫人とした、それがたゝりで同僚は皆な男爵・子爵と華族に列せられた間に、髯の中将のみは愛人のために華族を棒に振つてしまつたといふやうなローマンスを遺してゐる。

しかし唯だ新橋といへば無論北地のことで、誰だつて烏森のことだとはおもはない。

もと組合が芸妓組合と二業(料理待合)の二つに分れて居つて、よくごたくを起した花街で、烏森芸妓は挙つて北地へ出稼ぎをなし、烏森の料亭や待合から烏森芸妓を招ぶと「遠出」になるといふやうな滑稽なこともあつたが、数年前から三業合同して組合をつくり、今日は湖月を頭取、玉家を副頭取に推して至極円満にやつて居るのは、目出度し。