昔、ころびの本場

菅公を祀る湯島神社(現在府社)を中心として起つた花街で、余り古いことは知らないが寛政時代にはすでに若干の芸妓が居つたらしく、「ころび芸者」の名府内に喧伝されて居つたところから察すれば、発展家ぞろひであつたと見える。

ころんだら食はふヽとついてゆく、芸者の母のおくり狼。

などいふ狂歌さへ出来てゐた。 池の端の花街と殆んど地を接して連なり、帝大生を常華客として両々相俟つて発達して来たものであるが、地を接してゐるだけに常に池の端に圧されてゐる気味がある。 しかし池の端が水に枕んで独特の風趣を有せるに対して、こゝは天神の台地を舞台として下町の夜の灯の海を一目に見おろし、忍ヶ丘の翠色を一眸に収むる趣き、また甚だ捨てがたいものがある。