「山ねこ」の弁

麻布の夜の賑ひは「麻布の銀座」と云はれる十番、夜なヽ露店が出て人波のごった返す態は道玄坂下や新宿通りに彷彿として居る。 その盛り場を外れて二の橋から仙台坂へ向っての横町を、一歩露地へ踏み込むと、所謂江一格子の二間間口に、磨ガラス丸ボヤの御神燈がズラリと並んで、問はずとも狭斜の巷であることを象徴してゐる。 地域は網代町から山元町に跨って居る。 今から約二十年前、大正といふ年号になってから、小石川の白山と前後して生れた花街で、麻布の「山ねこ」と云へば当時ちよっと有名であった。 山猫と云ふと凄くきこえるが、お客を取って食ふといいふ意味ではない。 当時上野の山に博覧会か何かの催しのあったのを幸ひ、新設花街の宣伝傍たその余興に出演して、

猫ぢやヽとおしやあますが、猫が、猫が下駄はいて、傘さして、しぼり浴衣で来るものか。

といふ明治五六年頃流行の古色蒼然たる「猫ぢゃ踊」を踊っなのが原因で、猫ぢや踊に山の手を利かせて、つひに斯かる異名を得たのであったが、その山猫なる異名が又生憎と、此地の芸妓にはしっくり合てる様な気がするのは、『彼奴この土地をよく知らないからだ』と、勘弁して置いて貰ひたい。