芸妓屋

元は「武蔵」系統と「叶家」系統が幅を利かせてゐた土地で、芸ができても、顔が美しくても此の系統でなければ芸妓に非ずと言はれたくらゐ、今も其の分看板や孫店は沢山あるが、勢力は最早昔日の比にあらず。

はこは入らぬが「丸梅」の料理は四谷唯一の自慢ものに数へられて不可なかるべく、通りへ出る夜台のおでんやすしにもなかヽ好いのがある。

津の守気分『貴郎、おもどちらへお遊びにゐらっしゃるの』『おもっていふ程、そんなに遊んで歩きゃしないが、赤坂へはちよいヽ行くよ』『あら左様ですか此頃赤坂から来た妓が一人ありますよ、それを招びませう』『いや、津の守へ来たら矢張り津の守気分の芸妓の方がいゝね』『でも赤坂なら御存知の妓かもしれないぢやありませんか、かけて見ませうよ』 と言ふので女将がひとり呑込んで其の赤坂なるものを招んだのである。

『今晩は……おや?。 』

『おや!。 』

『そウら御覧なさい、お馴染なんでせう。 』

『お馴染には相違ないが、変な処で会たものだねえ?、おい。 といふ呼び方はないね何と言って出てるんだい?。 』

と言ふと、ピカリ、相手の妓の眼の光り電光の如く「そのあと言ふな」。 −世古といふ待合の女中、それも走り使ひをしてゐた女であった。 変なお馴染に逢ってダヂヽとしたそれは十年前の話、今は恐らくそんなのは居まいな。 だがこれを津の守気分などゝ言っては些とひどからう。

こゝは老妓以外は凡て発展すること、見町や白山と異る所なく、特祝も五円、十円、十五円と公称して居るが、三流四流となるともっと安くてもいゝのだ相である。