区域

麹町区富士見町一丁目から麹町三番町の各一部に跨がる間で、電車線路をへだてゝ、ほゞ九段招魂社と相対してゐる位置。

明治二十五年頃、山の手一と云はれた顔役柴田喜太郎といふ人が、土地発展策として芸妓屋と待合を開いたのが此花街の始まりで、当時はわづかに芸妓屋四軒・待合二軒であつたが、客に対しては諸事軽便に薄多主義を採ると共に、芸妓屋に対しては玉祝儀は必ず翌日払ひといふ類のない制度を採用した為、芸妓屋は日銭が入って生活が楽なので我もヽと集まり、震災前すでに三百五十余名の芸妓九十五軒の待合茶屋を擁して、数に於て市内の第八位を占めるに至った。 震災後の復活力も頗ぶる優勢で、今日は殆んど旧に優る繁昌ぶりである。 富士見町略して「見町」とも呼ばれてゐるが、最近「九段三業」と改め、一般にも「九段」と呼ばれるやうになった。