花街情調

尾崎紅葉の全盛時代、吉熊といふ料亭があつて、よく其処で硯友社一派の会が行はれたさうだ。 爾来文士とは可なり縁の深い士地で、以前は文士の遊び場とされたものだが、今日は最早さうした特色は持つて居らぬらしい。 兎に角旧市内では屈指の安い遊び場で、従つて客筋も雑多である関係もあらうが、構えも堂々として設備も相当整つた待合であり乍ら、初会の客には遠慮なく前勘を当るといふやうなことを平気でやる。 同時に客の方にも、高等出来合らしい洋服を着て熊の皮の上にどつかり、靴下の踵の破れがちよいヽ顔を出すのを気にしながら座つてるのもあらうといふ訳。 近年はなかヽ進歩して、一現客は上げないなどゝいふ待合も二三軒は現れて来たが、『待合の街頭進出! 絶対安直、その勉強ぶりを電話でおきゝ願ひます。 全芸妓の写真完備』などゝ、女郎屋と間違はれさうな新聞広告をしたりする家のあるところが、矢張り神楽坂でなければ味へない気分なのである。

鳥料理の「川てつ」は箱の入らぬ代りに、女中に澁皮のむけたのを集め、田原屋の洋食と相俟つて、市内でも相当きこえた家である。 その他鰻の島金、座敷天ぷらの「にしき」、小料理の喜仙など皆相当にうまく食はせる。 神楽おでんは此地名物の随一で殊に酢だごと来ては天下一品の定評がある。

賑やかなのは毎月寅の日の毘沙門の縁日、平日でさへ肩摩轂撃そのものである坂の上は、唯もうゆらヽと人波に揺れてゐる中を、美しくばつと色どつてゆく半玉の姿がいかにも花街らしい。