主なる料亭待合

こゝの料理店は、草津、一直、松島、大金を俗に「四軒」と称へて、代表的料亭とされてゐた。 之に萬梅が加はつて元五軒茶屋と呼ばれたのが一軒減つて四軒になったのであるが、一直・草津はもとヽ宴会向の家で、松島は震災前から已に格が落ちたと伝へられ、ひとり田圃の大金のみがわづかに『古い浅草の、黄昏のやうな落付と雅びとを見せて』ゐたが、それも今は無くなって、家号だけは同じ名のがあるが、以前のそれとは肖てもつかない家である。 で、現在の料理店としては、一直、草津、大増、大増支店、銀なべ、松しま、松楽、みまき、水仙、などいふところであらう。 大増は磐常没落後その跡を受引けたもので、綺麗な女中を多く集め、湯瀧などを設け、殊に震災の際不思議に焼け残って以来一層めきヽと頭を擡げて来た家である。 草津と一直はうら表に隣り合ひ、一直は昔新門辰五郎の住んでゐた跡と伝へられてゐる。

待合では依然久の家を筆頭に、久辰、久山田、竹田家、宮竹 卷の家、すゞえ、須美壽、のんき、福井、住よし、おせん、春日、鹿の子、金泉などいふところが一二流であらう。