今日の浅草

芸妓屋約二百七、十軒。 芸妓 大小併をて約八百名。 料理店、三十七軒。 待合茶屋 二百五十軒。 以上が即ち現在の浅草花街を形成ってゐる拂成要素で、別に「浅草西見」と称する一派があって、千束町二丁目の三百五、六十番地に亘つて一廓を成し、芸妓屋約五〇軒芸妓百五六十名、待合茶屋百余軒、それに若干の料亭も加はつて三業を組織し、安直主義を標榜して侮りがたい一勢力を成してゐる。 大正五六年の頃私娼窟取拂ひに際して転業した女達並びにその系統を引くクループに依って創設されたもので、所調△△専門。 それで以前は『西券か、フン』と鼻であしらはれたものであったが、草創以来すでに十余年の星霜を経たる今日では、芸妓も、待合も、そのすぐれたるものは公園の二流どころと比して遜色なく、演芸会にも大手を振つて出かける腕だつしやなのがあれば、ダンスに巧みなロシア女も居るといふ風で、頭からさほど馬鹿にしたものでもなく、西券には西券の情調があると言へやう。