池の端の夜の灯

今は山下を電車が通るやうになつて幾分殺風景にはなつたが、それでも公園入口の池に面した徒崖や精養軒辺から見おろした夜の光景、—不忍池の向ふ端に料理待合の軒燈がズラリと一列にならんで、それが池の水にうつる風景は、東京の花街でもちょつと他には類のないなまめかしさを見せてゐる。 蓮の花咲く不忍の池を抱こんで居る点が何と言つても此の里の生命で、左に弥生ヶ丘、右に東叡山といふ眺望もひとり池の端の待合のみが誇りとする所である、殊に老木に富んだ上野公園のこんもりとした大きな森はあたりの風景を一際引立てゝゐる。

春は、丘上一面あいたいたる花雲に蔽はれ、夏は池の面一ぱいに紅蓮白蓮でうつくしく色どられる。 秋の月、多の雪景、とりヾに趣きがあつて、甍の海の東京の真ン中にどうしてこんな処があるかと、まア大袈裟にいへばそれ位に誉めてもいゝところ、不忍の池の眺めは四季に適してゐるが、わけてその池の表、蓮の広葉に降りそゝぐ夜の雨を聴きながら浅酌低唱は風流の極み殊には夜ふけて水の面にひゞき来たる「上野の鐘」は叉なくうれしいもの。 だが、然しだ、此の池の畔には一年の中三分の二位は何とか博覧会といふものが開かれて、それがまた極つて夜間開場とくるには全たくあやまる。 世にも憂たてきものは、池の端の博覧会てふものにぞありけるか。

総じて此地には東京ッ妓が多く、余りお国訛りを聞かない点がうれしく感ぜられる。 と云つて柳橋芳町ほどに粋でない、花に例へれば妖艶にして尚且つ野趣を含む桃の花か。 土地が下町と山手に堺せる関係もあらうし、客種が比較的雑多である所為もあらう。 むかし此地は大学生の遊びの本場とせられたものだが、近頃は学生の客は滅切滅つたといふことである。