今日の赤坂

芸妓屋 一二○軒。 芸妓 大小併せて約四〇〇名。 料理屋一〇軒。 待合 約九〇軒。

以上が即ち今日の赤坂花街を構成せるもので、久しく林屋と相駢んで覇を称せる「春本」は無くなり、これと雁行の勢力を有つてゐた「清土」亦待合の方へ営業替をした上に、料理店の「三河家」は錦水となつて東洋軒の経営にうつり、「八百勘」も主人の吉田勘右衛門氏が府会や市会の方へ頭をつッこむやうになつて以来、頓にその存在を忘れらるゝに至り、昔日の遊客をして伝た今昔の感に堪へざらしめるものがある。 とは言へ春本の本家は廃めでも猶ほ二十軒の分家を残し、清土亦おなじく十三軒の分家を残し、林家は本分家をあはせて十二軒を占め、依然として此地は矢張り春本、林家、及び清土の「赤坂」である。 抱妓の多いのは林家の十七八人を筆頭に、照清土、一芳川の十二三人、新藤本・梅本各十人といふところであらう。

料理屋の主なるものとしては美吉野、高砂、もみぢ(日本風支那料理)、宇佐美、なると(鳥料理)

待合の代表的なものとしては永楽、三しま、清土、花家、いなば、瓢屋。

などを挙げやう。 震災前の三百六十名に比して、芸妓の数は多少増加して居り、従つて待合や料理屋の数も決して減少しては居らないのであるが、何となく寂寥な感じのするのが今日の「赤坂」である。