今日の芳町花街

「芳町」の花街といふは、明治座際浜町川に架した小川橋から人形町通りに出る電車線路の両側即ち高砂町、浪花町、新和泉町、住吉町の各裏通り、元大阪町の一部、及び水天宮を中心とせる蛎殼町二丁目三丁目の裏通り一帯を称するもので、芸妓見番は住吉町にあり、芳町といふ地名の処には却って一軒の芸妓屋、待合すら無いといふ妙な態になってゐる。

現在芸妓屋 二四〇軒。 芸妓 約七〇〇名。

料理屋、待合合して 約三〇〇軒。

と、いふのが数学上から観た「今日の芳町」であるが、三百余軒の出場所の中百六十軒は、別項「浜町」に於て述べた通り柳橋芸妓との入会地で、これを控除すれば残るところ約百四十軒。 その中料理屋はほんの五六軒で他は全部待合だ。 これを町別にすると蛎殼町二丁目。 同三丁目、浪花町、元大阪町、住吉町、玄冶店等であるが、総数の約三分の二は蛎殼町二三丁目の裏通りに集中し、二百四十余軒の芸妓屋の中五〇%強はこれ亦蛎殻町二丁目にあって、当花街の重心が著しく蛎殼町の方に片寄って来て居ることを誰しも否定ができない。 で、東京人の中でも粗忽かしいのは、蛎殼町と芳町とは別の花街だと思ってる。 或ひは、蛎殼町と芳町を同じ花街だと思ってる粗忽者もあると言った方が、一層適切であるかも知れない。 蓋し蛎殼町と芳町とは一にして実は二、二にして実は一、芸妓屋組合は一つだが、出先きたる料理屋と待合の組合が二つに分れて玉代が異って居るのだから、甚だ以て異様なかたちである。 これは一時蛎殼町に全盛を極めた「大正芸妓」とその出先きとが「芳町」に合併した結果で、今日は合併当時ほど両者の間に截然たる区別はなく、一二流の芸妓も或る一方の出先きを嫌って出入しないといふやうなことは無くなったが、それでも未だ家によって、出入りする妓品や遊びの気分に相違がないとは言はれない。 七百余名といふ多数の芸妓は実に玉石混淆で、その中には真正の芳町芸妓と言へないやうなものもある。