芳町の歴史は頗る古い

東京では一番古い歴史を有つ花街である。 家康入府の後間もなく、庄司甚右衛門といふ者が幕府に請ふて、蘆・荻・真菰の茂つてゐた葺屋町辺の沼沢を埋立て、柳町・鎌倉河岸その他等々府内に散在せる娼家を集めて元和三年(三百十五年前)始めて傾城町をつくつた、それが即ち「吉原」の起原で、今日の日本橋区新和泉町・高砂町・住吉町・浪花町のあたりだといふ。 明暦三年の大火に類焼して移転を命ぜられ、現在の位置に移つて「新吉原」となつたのであるが、其の跡地は矢張り私娼窟となつてゐた、踊り子時代には踊り子が居り、芸者ばやりとなれば芸者に転栄し、兎にも角にも元和以来引つゞいての色里であつた。 幕末の慶応二年頃には二十四人の芸妓が居つたといふ、大体に於て当時の形勢は、柳橋と霊岸島の間に挟まつて押されて居たらしいが、隣接の蛎殻町が米屋町となつて以来、俄然活気を帯びて来て、今日では柳橋霊岸島を合しても及ばぬほどの繁栄ぶり、殊に其の重心が旧来の本拠た る浪花町、住吉町から蛎殼町の方へ移って行ったのも自然の勢であらう。