主なる料亭と待合

料亭では亀清、柳光亭、深川亭、二葉、津久松を挙げ、待合では稲垣、田中家、宝来家、栄家、明ぼの等を挙げる。 「亀清」はむかし万入と称し、板前で鳴らした家で各大名の御留守居の遊び場として有名であつた、講談などによく出てくる家で、大川と神田川の会流点の角地を占めて両河に臨み巍然として馬琴の芳流閣のごとく聳えた威容は両国橋畔の一名物であつた。 震災後の現在の建築には昔の半分ほどの盛観もないが、兎に角景勝第一として推さねばならぬ。 亀清の宏壮に対して柳光亭の渋味、深川亭の瀟洒、この三軒は方に鼎立のかたちで、後の二軒も大川端にある。

「深川亭」は以前小中村家と云つた家で、東両国の中村楼の娘が経営し、家も両国橋の際にあつて、柳橋では随一に推された。 料亭だつた現在の位置に移つてから深川亭となつたのだが、大官連の贔負を受け、また漢詩人の間に喜ばれて、深川亭の別名梯雲楼に因んで梯雲楼詩会といふものが組織されてゐる。

「橋光亭」は座敷の大黒柱の中に蛇が居るので有名だつた、むかし橋橋一の売れッ児だつた徳の家の定子が今はこゝの女将で収まつてゐる。

待合では吉右衛門びいきで有名な「稲垣」が、昔から代地では代表的な家とされてゐる。 矢張り裏座敷は大川に臨んでゐる。 総じて此の地は有名無名にかゝはらず大川の水に臨んだ家々に独特の趣きがあり、情調もある。 この点京都の先斗町と一対である。